チャリヤダンスの発祥が宗教的実演から始まったことをHISTORYのページで 述べました。ここではこの踊りが宗教儀礼の中でどのような目的でおこなわれて いたのかをもう少し具体的に説明したいと思います。

当時この舞踊をおこなう阿闍梨は瞑想の達人ともいうべき人物で、 修行によってその真髄を究め、勝れた能力を得ていたのでしょう。この達人たちは、 経典が教える瞑想法によって神々の姿をイメージしました。 このような瞑想法のことをサーダナー(観想法または成就法)と呼びます。 このサーダナーの中で達人は神々の連続した円(曼陀羅)が瞑想上に描かれるのを観察するのです。阿闍梨の集中力と神への献身で念じるこの実践は、日本でいう念仏とよく似たものであると思います。

このようなサーダナーは内的なサーダナーです。阿闍梨は外的なサーダナーもおこないました。阿闍梨は瞑想によってイメージした曼陀羅を、実際の儀礼の場にも描きます。この時の曼陀羅は色粉で地面に描いたものです。この地面に描かれた曼陀羅の周りで、阿闍梨は神についての記述を基にして、自分が瞑想の中で描いた神を実演します。このように達人は内的なサーダナーによって、外的なサーダナーを舞踊で実現させました。

 

 

踊り手はまず四つの方角を拝し、歌とともに踊り始め、神を招きます。 実演中の踊り手はおそらく神がかりになったと思われます。 それは踊り手の体に神が憑依したのか、あるいは彼自身の中に神性を感じたのでしょう。 この踊りのムドラ(手の表現)と体の動きは神を象徴する身体表現であり、 この所作によって踊り手は神を喚起することに成功するのです。言い換えればこの舞踊は、 神と自分とを結びつける媒体のようなものなのです。

チャリヤダンスを密教舞踊と訳していますが、チャリヤという言葉にはもともと儀式、実践、観察、といった意味があります。 この言葉から考えても、まさしくこの踊りはサーダナー(神を観ること)そのものだと言えます。すなわちチャリヤダンスの目的とは、神とのヨーガ(合一)であったのです。しかし現在、パフォーマンスとして見せる舞踊においては、このように神がかるダンサーはいないに等しいでしょう。また彼らは内的なサーダナーもあまりおこなわないと思われます。

チャリヤダンスの美しさはその神秘さにあり、しなやかな体の動きと柔らかな手の表現で、曼陀羅の世界を表現するものです。それは観客に舞踊の美と神の荘厳さを見せる、純粋な時間と空間を与えるものでなければなりません。今は儀礼性がないものとしても、やはりこの舞踊は精神性の高いものであり、その行為はダンサーにとって信仰(バクティ)であり 、また観客にとっても踊りを見る行為は信仰(バクティ)であってほしいと思います。