踊り手はまず四つの方角を拝し、歌とともに踊り始め、神を招きます。 実演中の踊り手はおそらく神がかりになったと思われます。
それは踊り手の体に神が憑依したのか、あるいは彼自身の中に神性を感じたのでしょう。 この踊りのムドラ(手の表現)と体の動きは神を象徴する身体表現であり、
この所作によって踊り手は神を喚起することに成功するのです。言い換えればこの舞踊は、 神と自分とを結びつける媒体のようなものなのです。
チャリヤダンスを密教舞踊と訳していますが、チャリヤという言葉にはもともと儀式、実践、観察、といった意味があります。
この言葉から考えても、まさしくこの踊りはサーダナー(神を観ること)そのものだと言えます。すなわちチャリヤダンスの目的とは、神とのヨーガ(合一)であったのです。しかし現在、パフォーマンスとして見せる舞踊においては、このように神がかるダンサーはいないに等しいでしょう。また彼らは内的なサーダナーもあまりおこなわないと思われます。
チャリヤダンスの美しさはその神秘さにあり、しなやかな体の動きと柔らかな手の表現で、曼陀羅の世界を表現するものです。それは観客に舞踊の美と神の荘厳さを見せる、純粋な時間と空間を与えるものでなければなりません。今は儀礼性がないものとしても、やはりこの舞踊は精神性の高いものであり、その行為はダンサーにとって信仰(バクティ)であり
、また観客にとっても踊りを見る行為は信仰(バクティ)であってほしいと思います。 |